音楽とスポーツの二刀流で多くの人々に影響を与え続けた、高石ともやさんが逝去されました。
彼の音楽に励まされたり、彼のスポーツへの情熱に感銘を受けたりした方々にとって、このニュースは非常にショックなことでしょう。
なぜ、高石ともやさんは長いキャリアの中でこれほど多くの人々に影響を与えることができたのでしょうか?そして、彼の死因は何だったのでしょうか?
目次
なぜ高石ともやさんの死因は公表されていないのか?
フォーク歌手として日本の音楽シーンをリードしてきた高石ともやさんが、2024年8月17日に82歳で亡くなりました。
彼の死因は公表されておらず、その背景には様々な理由が考えられます。彼が生涯を通じて大切にしてきたプライバシーの保護や、家族の意向などがその一因である可能性があります。
妻のがん宣告
1967年、26歳の時に2歳年下のマネージャーと結婚し、40年間を共に過ごしました。
しかし、妻が大腸がんと診断され、「余命半年」と宣告されるという厳しい試練が訪れます。
それでも妻は家族の支えを受けて4年間の闘病生活を送り、2011年8月に亡くなりました。
当時、高石さんは「虚しくて、ただ生きてるだけでした」とコメントされていますが、その後、周囲の友人たちの支えにより、少しずつ元気を取り戻すことができて、大好きなマラソンにも打ち込まれていました。
「受験生ブルース」が与えた影響
1968年に発表された「受験生ブルース」は、高石ともやさんの代表曲として広く知られています。
この曲は、当時の社会情勢を反映したメッセージ性の強い歌詞で、多くの若者に支持されました。
反戦や学生運動が盛んだった時代に、彼の音楽は新しい世代の声となり、その影響力は計り知れません。
クラーク記念国際高等学校の校歌作ってくれてありがとう。
今頃先に行った諸口のアニキと再会してはるんじゃないかな?おぅ!来たかー!ってべらんめえ調で…
マラソン愛好家としての一面
音楽活動に加えて、高石ともやさんはマラソンやトライアスロンの愛好家としても知られていました。
彼は国内外の様々な大会に参加し、その情熱は音楽活動と同じく強いものでした。
1970年 | 29才 | アメリカ一人旅・ジョギングを持ち帰る |
1971年 | 30才 | 名田庄村村民運動会マラソンに初参加 総合11位 |
1972年 | 31才 | 九州熊本~鹿児島までリャカー行脚 名田庄村村民運動会マラソン 総合3位 |
1973年 | 32才 | 四国八十八か所遍路 1400kmを14日間で自転車で巡る 名田庄村村民運動会マラソン 総合3位 |
1974年 | 33才 | 名田庄村村民運動会マラソン 総合2位 |
1975年 | 34才 | 名田庄村村民運動会マラソン 初優勝 福井県郡市村対抗駅伝大会 (第5区走る) 区間5位 |
1977年 | 36才 | 第5回 ホノルルマラソン初参加(3時間10分02秒) |
1978年 | 37才 | 中日福井マラソン(2時間59分55秒) ホノルルマラソン (3時間01分27秒) (てるえさん:5時間22分08秒) |
1979年 | 38才 | 第12回京都マラソン(98位、2時間45分07秒) 福井中日マラソン (2時間59分56秒) ホノルルマラソン 小学校2年のりみち君と走る(9時間00分01秒) (てるえさん4:44:42) |
1980年 | 39才 | ホノルルマラソン (5時間0分28秒) |
1981年 | 40才 | 別府毎日マラソン(174位、2時間45分27秒) 沖縄那覇マラソン(10位入賞、3時間00分27秒) 札幌スキーマラソン 30K部 (2時間46分40秒) 第1回 皆生トライアスロン優勝(6時間27分33秒) |
1982年 | 41才 | 篠山ABCマラソン(2時間53分37秒) 旭川国際バーサー大会(クロスカントリースキー) (20K 1時間25分30秒) ホノルルマラソン (3時間21分13秒) |
1983年 | 42才 | 第3回 皆生トライアスロン(6位) 小松トライアスロン(5位) ペナンマラソン (3時間03分21秒) ホノルルマラソン (3時間10分28秒) |
1984年 | 43才 | 第4回 皆生トライアスロン(3時間28分) ホノルルマラソン (3時間06分06秒) |
1985年 | 44才 | 全日本トライアスロン宮古島大会(総合6位) 全日本トライアスロン琵琶湖大会(総合17位) 世界アイアンマンレース(ハワイ、182位) ホノルルマラソン (3時間06分40秒) |
1986年 | 45才 | ニューヨークシティマラソン(3時間02分28秒) ハワイ島一周世界最長ウルトラマン(トライアス□ン)レース (510km・15位、30時間40分36秒(3日間)) ホノルルマラソン (3時間03分36秒) |
1987年 | 46才 | サロマ100Kmマラソン (9時間24分39秒) ダブルアイアン・トライアスロン(テネシー・アメリカ)出場 (水泳7.8㎞、目転車360㎞、ラン84.4㎞ 計452.2Km、総合タイム35時間30分06秒 ) ホノルルマラソン (3時間03分23秒) |
1988年 | 47才 | ウエストフィールドラン(オーストラリア1018㎞) 初出場 (909Km)まで サロマ湖100Kmマラソン (10時間06分02秒) 長崎~広島 430km ピースマラソン ホノルルマラソン |
1989年 | 48才 | ウエストフィールドラン(1011Km) 日本人初完走(8日10時間52分) |
1990年 | 49才 | 全日本トライアスロン宮古島大会(45~50才クラス優勝) |
1993年 | 52才 | トランス・アメリカ・フットレース(ロス~ニューヨーク) (4700㎞・636時間10分46秒/64日間)16人中第5位 |
1994年 | 53才 | 北海道ワイルドランボランティアを始める |
1996年 | 55才 | 第24回 ホノルルマラソン連続20回出場。協会より表彰される |
2000年 | 59才 | オーストラリア アイアンマン出場3位に終わる |
2001年 | 60才 | トライアスロン オーストラリア選手権 ニューヨーク・シティマラソン ホノルルマラソン (6時間00分07秒) |
2002年 | 61才 | 椛の湖・還暦マラソン 米アイアンマン ウイスコンシントライアスロン大会 60~64才で優勝。ハワイの世界大会の出場権を得る ホノルルマラソン (3時間52分29秒) |
2003年 | 62才 | ハワイで行われたアイアンマン世界大会出場 (13時間11分09秒) ホノルルマラソン (3時間39分48秒) |
2004年 | 63才 | 第20回 全日本トライアスロン宮古島大会 (11時間27分28秒) ホノルルマラソン (3時間41分19秒) |
2005年 | 64才 | ホノルルマラソン (4時間38分05秒) |
2006年 | 65才 | 泉州国際市民マラソン (4時間15分25秒) ホノルルマラソン (3時間59分12秒) |
2007年 | 66才 | 泉州国際市民マラソン (3時間58分17秒) ホノルルマラソン (4時間16分26秒) |
2008年 | 67才 | 泉州国際市民マラソン (3時間51分29秒) 奥熊野100マラソン (12時間58分56秒) みかた残酷マラソン (2時間34分32秒) サロマ湖100Kmウルトラマラソン9回出 (11時間53分21秒) セントジョージマラソン (米国ユタ州)(4時間13分09秒) 第36回 ホノルルマラソン (4時間13分09秒) |
2009年 | 68才 | 泉州国際市民マラソン (4時間04分12秒) ”西国巡礼RUN991キロ” 991キロ巡礼ランと西国三十三所で巡礼歌奉納を行なう 第37回 ホノルルマラソン (4時間10分58秒) |
2010年 | 69才 | 泉州国際市民マラソン (4時間13分16秒) 熊野ラン(伊勢神宮から熊野速玉大社まで)走る。 第30回 全日本トライアスロン皆生大会 (14時間20分17秒) 伊豆八十八ケ所、巡礼ランを行う。 第38回 ホノルルマラソン (4時間25分32秒) |
2011年 | 70才 | 泉州国際市民マラソン(16回連続出場) (4時間13分35秒) 小松全日本鉄人レース2011 デュアスロン【ロング】 (5時間54分11秒) 第1回 神戸マラソン (5時間13分24秒) 第39回 ホノルルマラソン (4時間49分05秒) |
2012年 | 71才 | 泉州国際市民マラソン 腰痛にて25km途中リタイア (7月脊柱管狭窄症手術) 第40回 ホノルルマラソン (7時間34分05秒) |
2013年 | 72才 | 第41回 ホノルルマラソン (6時間14分13秒) |
2014年 | 73才 | 第42回 ホノルルマラソン (6時間43分15秒) |
2015年 | 74才 | 第43回 ホノルルマラソン (7時間20分09秒) スーザホン(チューバ)を背負って走るレオさん(三重在住)と大型ウクレレを持ってリクエストに合せ歌いながら・・・。。 |
2016年 | 75才 | 第44回 ホノルルマラソン トロンボーンを吹きながら完走 (8時間18分50秒) |
2017年 | 76才 | 第45回 ホノルルマラソン (8時間27分31秒) |
2018年 | 77才 | 第46回 ホノルルマラソン (8時間28分43秒) |
2019年 | 78才 | 第47回 ホノルルマラソン 連続43回出場 最初~最後まで完歩 (9時間38分53秒)) |
2022年 | 81才 | 第50回 ホノルルマラソン 新型コロナウイルスの影響により3年ぶり |
彼のスポーツに対する姿勢は、多くの人々にインスピレーションを与えました。
晩年の活動と未来へのメッセージ
高石ともやさんは、晩年まで音楽活動を続け、その中で「あと10年ぐらいで自分のフォークソング史をつくりたい」と語っていました。
この言葉には、彼の音楽に対する終わりなき探求心と情熱が表れています。彼の音楽は、今後も多くの人々に影響を与え続けるでしょう。
お別れの会の予定
高石ともやさんの葬儀は、近親者のみで行われましたが、後日お別れの会が開かれる予定です。
彼の音楽と人生を振り返り、多くのファンが彼に別れを告げることになるでしょう。
フォークシンガー 高石ともやに長年ご厚情いただきまして、ありがとうございます。
高石はかねてより入院療養中でしたが、去る8月17日 82歳の生涯を閉じました。
とても残念でなりません。葬儀は密葬で近親者のみで執り行います。
また、御供花、御香典等は勝手ながらご辞退させていただきます。なお、お別れ会は後日開催予定です。
高石ともや事務所
まとめ
高石ともやさんは、その音楽と人生を通じて、多くの人々に影響を与えました。
彼の功績は、今後も日本の音楽史に深く刻まれることでしょう。
彼のメッセージ性の強い歌詞と、シンプルながらも力強い演奏スタイルは、時代を超えて人々の心に響き続けます。
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